なぜデザインなのか。

読みました。

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原研哉さんと阿部雅世さんのデザインの本質に関する対談本。
ちょっと厚い本で、苦戦しましたが、がんばって読みました。

ワークショップを主宰するというのは、まさしく指揮者をやることと同じだと思うんです。生徒の天性を引き出す仕組みを、いかにうまくつくれるかということですね。

原さんからいただいた「HAPTIC」展への参加の依頼状は、まず原さんからの自己紹介から始まって、なぜこういう展覧会をやろうとしているか、具体的にはどういう展覧会で、どういう技術サポートができて、いつまでに何をしてほしいか、ものすごくわかりやすく、ご著書も含めてワンパッケージにしてあった。

豊富なボキャブラリーと、自分の頭で考えているいいポイントを適切に説明できる能力こそ、コミュニケーションの基本だと思います。クロッキーのような身体能力に次いで、もうひとつ重要なのは言葉です。デザイナーは本来、説明のプロにならざるを得ない職能なんです。

世界は誤解の連続です。だから、コミュニケーションのデザインがある。僕の仕事の大半は企画書を書くことなんですよ。企画書と依頼状ですね。

グローバルというのは経済用語と考えた方がいい。文化を語る言葉として広げすぎない方がいいでしょう。富のマネージメントに優位な国が、お金もうけの環境を世界に広げ、そのルールも均一にしていくという発想がグローバルです。しかし一方で、文化というのは基本的にはローカリティーそおのものを指すわけでしょう。文化はローカルでしかあり得ない。

ハピネスは、技術からではなく、教養や哲学から生まれてくるもの。