キャラ化する/される子供たち

読みました。

ものすごく薄い本です。だから安いのか。またしてもなんだか損した気分。
近頃の子供たちの気持ちを知ることができる一冊です。
怖い、怖すぎる・・・。

無差別連続殺傷事件。犯行動機は、報道されているような雇用格差への怒りではなく、人間関係の格差。それも自分と同じか近い立場の「リア充(現実の生活が充実している)」な人々。

今日の中高生の感覚には、かつての非行グループのような的が見あたらない。
そのため、グループ内の人間関係は活性を失い、場の空気もよどんでしまう。
敵に向けての集団的なエネルギーが発散されることもないので、グループ内での人間関係の圧力が高まっている。

オヤジ狩りをする少年たちは、オヤジに憎悪を向けているわけではない。グループ内の人間関係をうまく転がしていくための共同作業。彼らのまなざしはオヤジではなく、自分たちの人間関係に向けられている。

今日の子供たちは、互いの関係を維持していくために、つながりあうことそれ自体が、関心の焦点となっている。グループの中で互いの「キャラがかぶる」のを慎重にさける。

従来のいじめは、多様性の否定、規格に合わせようとする学校、その価値観にそぐわない異質な人びとの排除から生まれた。

今では学校は様変わり。産業界が求める人材、多種多様な欲望にもとづいた商品ニーズに応えうるような創造的感性を持った人間、「個性の重視」、多様性を奨励する学校文化の中を子供たちは生きている。
かつての画一的な評価の物差しがなくなり、代わりに、身近にいる人間から逐一評価を受けざるをえなくなった。
平たくいえば、ウケを狙えるか否かが、自己評価の重要な判断材料になる。

社会の拘束力の強さにもとづく生きづらさから、人間関係の拘束力の強さにもとづく生きづらさへ。

大人たちは、自分たちを抑圧する敵ではなくなったと同時に、人生の指針を与えてくれる絶対的な拠り所でもなくなった。

自分にとって不気味なもの、異質なものを圏外へと追いやるのではなく、その異質さと折り合いをつけつつ、いかに生きていくべきかのか、私たちにはその知恵が問われている。